はじめに
便利な道具を入れたはずなのに、なぜか前より忙しい。——こういうこと、みなさんの会社でも起きていないでしょうか。
第15話のテーマは「生産性パラドックス」です。最近AIの文脈でよく聞く言葉ですが、正直に言うと私自身、かなりざっくりとしか理解していませんでした。「AIを使おうとすればするほど余計な作業が増えて、便利になっているようで実は生産性が落ちている」——そういう話だろうと思っていたんです。
今回はちゃんと調べてから話そうと思って準備したのですが、思っていたのとだいぶ違いました。今日はその、違っていたところも含めてお話しします。あわせて、調べた事実と私自身の現場実感は、はっきり分けてお伝えします。
前回の第14話で「地方はとりあえずが多い」という話をしました。とりあえずフォロワー、とりあえず認知、そのあとが決まっていない。今回はその「とりあえず」が、SNSだけでなく会社全体で起きているという話でもあります。
これはAIで初めて起きた話ではない
元になっているのは、ノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者ロバート・ソローの一言です。1987年に、彼はこう言いました。
コンピューターの時代は、いたるところで目にする。ただ、生産性の統計にだけは現れない。
これが「ソローのパラドックス」、日本語で「生産性パラドックス」と呼ばれるようになりました。40年近く前の話です。つまり、新しい道具を入れたのに数字が良くならないという現象は、パソコンのときにも、その後のIT投資のときにも、ずっと言われ続けてきたことなんです。AIで初めて起きたことではない、ということですね。
しかも続きがあります。1990年代の半ばごろからは「いや、ちゃんと効果は出ているじゃないか」という研究も次々に出てきました。効果がなかったのではなく、出るまでに時間がかかっていた。あるいは、測り方のほうに問題があった。そういう解釈です。
ただ、それでもズレは残っています。調査会社のガートナーが2025年8月に出している数字だと、IT支出は2000年と比べて130パーセント増えているのに、労働時間あたりのGDPは29パーセントしか増えていない。かけているけれど、成果は同じようには増えていない。この構図が40年経ってもまだ続いている、ということです。
ただしこれは、そのまま「投資対効果が悪い」と読むべき数字ではないと思っています。GDPには、その時代の変容にともなう業務量の変化までは加味されていないはずなので、IT支出とGDPだけで費用対効果を測るのは少し安直です。あくまで伸び率だけで見ると、こういう結果になっている、という受け取り方をしてください。
AIについて、実際に報告されていること
ここからは数字を出しますが、これは私の実感ではなく、人が調べたものだと思って聞いてください。
まず、私がざっくり思っていた「余計な作業が増える」に一番近いのがこれです。Upworkが2024年に世界2,500人を対象に行った調査で、AIを使っている従業員の77パーセントが「AIによって仕事が増えた、あるいは生産性が下がった面がある」と答えています。理由の1位は、AIが出したものを確認したり手直ししたりする時間が増えたこと。一方で経営層は、AIで生産性は上がると期待している。きれいに割れているんですよね。
それから2025年9月に、ハーバード・ビジネス・レビューで「ワークスロップ」という言葉が紹介されました。スロップは「雑なもの」という意味です。見た目はきれいに整っているのに、中身がなくて仕事が一歩も進まないAI生成物のことを指します。調査では、受け取った人が1件あたり平均2時間ほど、解読したり直したりに使っているとされています。作った人は5分で作っている。受け取った人が2時間かけて直している。個人としては早くなっているのに、会社全体では時間が増えているわけです。
またMITが2025年に出したレポートでは、企業が走らせた生成AIの試験導入のうち95パーセントが、損益に測れる形の効果を出せていないという話も出ています。
ここまで聞くと「やっぱりAIはダメじゃないか」と思われがちなのですが、そうではありません。逆の研究もちゃんとあります。カスタマーサポートの現場で5,000人以上を対象にした有名な研究では、平均で14パーセント生産性が上がっている。しかも新人や経験の浅い人ほど効果が大きくて、そこは34パーセント。逆にベテランにはほとんど効果がなかった、という結果です。
それから、これは私が一番おもしろいと思った話です。ベテランのプログラマーに、AIを使う場合と使わない場合をランダムに振り分けた実験が2025年に発表されていて、結果はAIを使ったほうが19パーセント遅かった。なのに本人たちは「AIのおかげで20パーセント早くなった」と感じていたんです。実測は遅いのに、体感は早い。
ただ、フェアに言っておきます。この研究チーム自身が2026年2月に、その後の実験では逆方向の結果も出ていて、いまの測り方だと過小評価している可能性があると公表しています。ですから、これをもって「AIは遅い」と結論づけることは、私はやりません。
正直に整理すると、こういうことです。
AIを使えば使うほど生産性が下がる、と言い切れる証拠はない。
最初に私が思っていたのは、ちょっと言い過ぎでした。裏が取れるのは、こちらの2つです。ひとつは、体制を整えないまま入れると「確認と手直し」という新しい仕事が生まれること。もうひとつは、個人の体感と組織の数字は平気でずれること。この2つは、かなりしっかりした話だと思います。
ここからは、現場で見ている感覚の話です
ここからは調べた話ではなく、私が現場で見ている感覚なので、分けて聞いてください。
前回「地方はとりあえずが多い」という話をしましたが、あれはSNSの話だけではないんです。とりあえずメタ広告を出す。とりあえずチラシを撒く。とりあえずAIを入れる。私がいつも聞くのは、そのあとの話です。広告を出したあとはどうするんですか。チラシを撒いたあと、どうやって上げるんですか。効果検証をする体制は社内に整っているんですか。そもそも、いま効果は出ているんですか。
AIも同じです。入れるのはいいんです。でも、本当に必要ですか。そもそもその前に、業務の棚卸しはしていますか。
ここは少し数字の裏があります。中小企業基盤整備機構が2026年3月に出した調査によると、中小企業がAIを入れる目的は「業務効率化・作業時間の短縮」が87パーセントでダントツ。「品質の向上」が32パーセントですから、50ポイント以上離れています。つまり「とにかく早くしたい」が先に来ているんです。人手が足りないので、気持ちはすごくわかります。でも、どの業務にどれだけ時間がかかっているかを把握していないのに、何を早くするんですか、という話なんですよね。
そしてこれはAIに限りません。新しい設備、新しいソフト、新しい施策、新しい社内ルール。全部同じ構造です。
私が案件をいただくときも、だいたいこれらを導入したあとで、「効果が出ているかが測れていない」「やってはいるものの売上が上がらない」「数字が良くならない、どうしたらいいですか」という状況でのご相談がほとんどです。私は地方のクライアントしか担当していませんが、ほぼほぼそういう状況ですね。
道具の問題ではなく、体制の問題
たとえば、すごくいい包丁を買ったとします。切れ味は抜群です。でも、まな板がなくて、何を作るかも決まっていなかったら、料理は早くなりませんよね。むしろ「いい包丁の手入れをする」という仕事が増えるだけです。
道具とはそういうもので、ひとつの作業を早くしてくれるだけ。順番までは決めてくれないんです。
マーケティングでも同じことが起きています。流行っているから、目立つからという理由で、現場の体制を整えないまま手法やツールを入れる。そうすると余計な業務が増えて、費用対効果が悪くなって、担当者は疲れて、しまいには「やっぱりうちには合わなかった」で終わる。合わなかったんじゃなくて、順番だったのかもしれませんよ、という話なんです。
入れる前に、一行だけ書く
じゃあどうするか。私は、入れる前に一行だけ書いてほしいと思っています。
これは、何をもって成功とするか。
前回「コンバージョンを先に決める」という話をしましたが、あれと完全に同じです。媒体が変わっても、道具が変わっても、やることは変わりません。これがないと効果検証ができません。というより、効果検証はあとでやるものではなく、始める前に設計しておくものなんですよね。ここが逆になっている会社が、本当に多いです。
たとえば新しい設備を導入するとして、それは何を改善するために入れるのか。導入したら日々の売上が何パーセント上がるのか、あるいは作業効率が何パーセント上がるのか。そこまで計算したうえで入れる、ということです。そもそも、いま目指している生産性に届いているのか、いないのか。本当は5パーセント上げたいけれど、ハードの上限としてこれ以上は上がらない。そういうときにはじめて、より効率的に作業ができるハードの導入を考える。そういう順序だと思うんです。
業務効率化のために入れるツールなら、どこの業務を効率化するのか、それを何パーセント効率化するのかを先に決める。そのうえで、どんなツールがいいか、導入後にその効率がどれだけ上がったかをどうやって計測するかまで決めてから検討する。この順番です。
一拍置く。そして、本質を捉える
こういう話をすると「じゃあ何もするなということですか」と思われるかもしれませんが、そうではありません。いったん冷静になりましょう、ということです。流行っているものを見たときに、飛びつく前に一拍置く。これは誰でもできますし、才能もいりません。
AIに限りません。すでにお付き合いのある企業の営業の方から新しいツールや設備を紹介されたとき、「それいいね、じゃあ契約するわ」ではなく、一拍置きましょう、ということです。
そのうえで私がずっと大事にしているのが、本質を捉えるということです。これは私のモットーでもありますし、「本質のマーケティング」というのは私がやっているサービスの根幹でもあります。宣伝みたいになってしまって恐縮ですが、ここは正直に言っておきたいと思います。
本質を捉えると言うと精神論に聞こえるかもしれませんが、分解すると3つです。
ひとつ目は、物事を客観的に見ること。自分の会社を、よその会社みたいに見るということです。これが一番難しい。全部が全部客観的にはなれなくても、「数字だけは素直に見る」「感じを入れないで見る」。それだけでも変わると思います。
ふたつ目は、数字が読めること。客観視するには数字がいります。売上だけではなく、何にどれだけ時間とお金を使っているのか。ここが見えていないと、判断が全部「感じ」になります。こんな感じ、いい感じ、悪い感じ、という具合に。
3つ目は、問題を分解して、ひとつの課題に落とし込むこと。「売上が上がらない」は問題であって、課題ではありません。新規が少ないのか、リピートが弱いのか、単価なのか。分けていくと最後は「じゃあ今週これをやる」というところまで降りていきます。
この3つは才能の話に聞こえるかもしれませんが、訓練すれば誰でもできるようになると思っています。というより、私自身が最初からできたわけではありません。手だけ動かして、先に行動して、あとから「これ何のためだっけ」となった時期は普通にありますし、最近でも起きます。新しいAIが出たら、とりあえず使ってみようとか、自分の仕事に取り入れられないかなとか、先に考えてしまう。だからこそ、一拍置こう、冷静になろうということを、自分自身も常日頃からやっています。
「それ、本当に必要ですかね」
最近、実際にそういうご相談を受けたばかりでした。AIを導入したいというお話です。そのとき私がお返ししたのは、「それ、本当に必要ですかね」という一言でした。そうしたら「あ、じゃあいらないか」という結論になったんです。
入れないという結論も、立派な結論だと思っています。単純に「AIを入れる」と言っても、AIに聞くより隣にいる従業員に聞いたほうが早い場合だって全然あります。先ほどお話ししたとおり、ベテランにはAIはあまり効きません。経験値のほうが圧倒的に早いからだと思います。逆に新人にはツールの導入で効率が上がるという研究結果が出ている。つまり、使う場所がすごく大事なんです。
だから「いまAIが流行っているから、一生懸命AIを入れよう」ではなくて、「うちのこの作業はいまアナログでやっているけれど、これAIにしたらめちゃくちゃ早くなるんじゃないか」というところから、ツールの導入を考えていただきたいと思います。
私はいつもお客さまにも言っているのですが、代行はしません。「うちがやってあげます」ではなく、「こう考えると整理できますよ」をお渡しする。社内の施策でも何でも、内製化していただくことを一番の目的だと考えています。そのほうが長く効くと思っていますし、それ自体が私の提供しているサービスの本質だと思っているからです。代行はその代行サービスが終わればその場で終わってしまいますが、内製化して自立自走できると、外注先がいなくなっても自分たちでまた違うところを発見できる。本質が理解できていると判断に迷いがなくなる。あまり外部に依存しない状態を作りましょう、ということを、私はけっこう大切にしています。
まとめ
・これはAIで初めて起きた話ではなく、40年前から言われている古い話です
・AIについては「使うほど生産性が下がる」と言い切れる証拠はありません
・裏が取れるのは、体制なしに入れると確認と手直しが増えること、体感と実測はずれること
・「とりあえず」のあとが決まっていない。広告もチラシもAIも同じです
・道具は作業を早くするだけで、順番までは決めてくれません
・入れる前に「何をもって成功とするか」を決める。効果検証は始める前に設計するもの
・いったん冷静になる。そのうえで、客観視する、数字を読む、問題を分解する。この3つは訓練でできます
AIの話としてお伝えしましたが、新しい設備でも、新しいソフトでも、新しい社内ルールでも、まったく同じことです。
明日からできること
紙でもスマホでもいいので、いま自分の会社で一番時間を食っている業務を3つ書き出してみてください。ざっくりでいいので、月に何時間くらいか、も一緒に。
そのうえで順番に見ていきます。まず、やめられないか。次に、まとめられないか。次に、減らせないか。それで最後に、道具で早くできないか。道具は最後です。この順番だけで、だいぶ変わると思います。
そしてもし何か新しいものを入れるときは、「これは何をもって成功とするか」。それだけ書いてから始めてみてください。
一生懸命AIを入れよう、ではなく、まずは棚卸しから。これは明日からできることだと思うので、まずは書き出してみるというところを、お持ち帰りいただければと思います。
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